皆さんは、自分が今しなければならない事を面倒くさいと思う事はありますか?
その「面倒くさい」には2つあると思うんです。
2つの「面倒くさい」
僕も「面倒くさい」と思うことがあります。
例えば、洗濯物を干すこと、たたむこと。でも生活していく上で仕方なくやらなきゃいけないからやっています。
これは、自分が人生において選択しなくても押し寄せるめんどくさいです。
①自分が選択しなくても押し寄せる「面倒くさい」
この「めんどくさい」はどうしようもありません。
自分が選択していないので、仕方なくやっているというのはわかります。
毎日の生活の中で、洗濯をすることや、食事の準備をすることは押し寄せてきますから仕方ありません。
この「面倒くさい」を改善するには、お金をかけて別の方法を模索するか、その作業をしないように頭を使うことが求められるでしょう。
それでは、もう一つの面倒くさいはどのようなものでしょうか。
②自分が選択したことで感じる「面倒くさい」
例を挙げると、自分が大学に入るという選択をしたとします。
その中でこれから先、講義を受けること、実験をすること、研究室・ゼミに入ることなどは容易に想像できると思います。
それを「面倒くさい」というのは、おかしいんじゃないか。
他にもあげるとすると、サークル。
自分が入りたいと思って入ったサークルでやらなきゃいけない仕事があって、それを「面倒くさい」と言うのは、それじゃあそのサークルに入らなきゃよかったんじゃないか、と僕は思います。
自分で選択したのなら「めんどくさい」は禁句ではないか?
自分で選択したものには、「面倒くさい」は禁句ではないかと思います。
しかし、あまりに世の中ではそういう人が多い。
この「面倒くさい」と思う理由を少し考えてみました。
①「面倒くさい」ことをするとは想定していなかったから。
その選択をした時点では、「面倒くさい」ことをするとは思っていなかった人がいるのかなと思いました。
サークルは1年目は言われたことをやればよかった(サークルによります。1年目から色々任されるところもあるみたいです)ですが、上級生になって誰がサークルをまとめていく係になるか、イベントの担当は誰がやるかなど、今まで受け身だったものを主体的に行っていく必要があります。
役割分担をして、その役割が想定していなかった「面倒くささ」だったからではないでしょうか。
②「面倒くさい」ことをするのは知っていたけど、実際にやってみて思った以上だったから。
「めんどくさそう」というのは知っていたけど、実際にやってみたらそれ以上だったパターン。
「めんどくさい」ことを知っていたけどやろうと思ったのはすごく良いと思います。
その「めんどくさい」という作業があってもその選択をする他の理由が原動力になったという点において素晴らしいことです。
でも、リサーチ力が足りなかったのかもしれません。もっと早くから知っておけば…選択が変わっていたかもしれません。
③「めんどくさい」が口癖だから。
これ結構あるのかなって感じます。
周りの人で「めんどくさい」という人が多すぎる気がします。
ゆとり世代だからでしょうか笑。
もっとやっていることを楽しめばいいのに、そこから学べることも絶対にあるのに。
そう僕は感じます。
結局何が言いたかったか
結局言いたかったのは、タイトルの通り
自分で選択した先にある「めんどくさい」は禁句ではないか。
ということです。
せっかくその選択をしたんだったら、その選択を楽しもうよ!って話です。
辛い、大変だ、めんどくさいと思うことがあるかもしれないけど、その先に待っているものはきっと前より良い景色を見られるのではないでしょうか。
例をあげれば、山頂に行くまで、山からの景色は見えないのと一緒。
めんどくさいと思うことって、次の段階に行くための壁っていうか、その壁にぶち当たるってことで、確実に自分は前に進めるわけで。
でも自分のことは自分の行動でしか動かない。自分の足は自分で歩こうとしなきゃうごかないのと一緒なんじゃないかなーと。
まずは「行動してみる精神」、そしてその選択を面倒くさいと思わず「楽しんでみる」こと。
それを意識して、僕は自分で決めた選択の先にある「面倒くさい」は言わないように心がけています。
ふと書きたくなったので記事にしました。
ひよこん
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